日本の暦(知識研究)

暦法の歴史

  • 元嘉暦(げんかれき) – 6世紀頃朝鮮半島百済から伝えられたの時代の中国暦である。
  • 儀鳳暦(ぎほうれき) – 中国暦で690年から元嘉暦と併用された。697年からは単独で使用された。
  • 大衍暦(たいえんれき、だいえんれき) – 中国暦で764年から861年まで使われた。
  • 五紀暦(ごきれき) – 中国暦で781年に日本に紹介されたが単独で使われることはなかった。
  • 宣明暦(せんみょうれき) – 中国暦で862年から1685年まで使用された。
  • 貞享暦(じょうきょうれき) – 初めて日本人により編纂された暦で1685年から1755年まで使われた。
  • 宝暦暦(ほうりゃくれき、ほうれきれき) – 1755年から1798年
  • 寛政暦(かんせいれき) – 1798年から1844年
  • 天保暦(てんぽうれき) – 1844年から1872年

日本の暦の歴史

  • 具注暦(ぐちゅうれき)
    • 元嘉暦を基に作られた暦である。飛鳥時代の木簡に具注暦を記したものが見つかっている。奈良時代には朝廷陰陽寮が作成し頒布していた。)鎌倉時代に具注暦を仮名表記にした仮名暦(かなごよみ)が現れた。
  • 京暦(きょうごよみ) 
    • 始まりは鎌倉時代と推定されている。15世紀中頃には摺暦座(すりごよみざ)が専売権を持っていた。
    • 1657年には朝廷御用達で全国の暦師の監督権を持っていた大経師(だいきょうじ)が大経師暦を発行していた[3]
  • 三島暦(みしまごよみ)
    • 奈良時代(8世紀後半)から続くと言われている[4]。この三島暦を作ったのは奈良から三島宿へ移ってきた暦師河合家であった。江戸時代初期には幕府の公式の暦となり、関東・東海地方で広く使われていた。河合家は平成に入り50代続いた暦師を廃業した[5]
  • 大宮暦(おおみやごよみ)
    • 戦国時代に武蔵国大宮の氷川神社で作成された仮名暦。
  • 丹生暦(にゅうこよみ)
  • 伊勢暦(いせごよみ)
    • 1632年より発行され江戸時代には全国各地に配布された。
    • この暦には吉凶凡例、日ごとの節季農事に関する記述があり生活暦(せいかつれき)として重宝され、伊勢詣の土産にもなっていた。配布数も増加し享保年間(1716-1735)には毎年200万部が出版され、全国で配られた暦の約半数を占めていたともいわれている[7]
  • 江戸暦(えどごよみ)
    • 江戸の人口増大に伴って、17世紀中期から刊行され、1697年には11名からなる仲間組織が結成された。

1871年(明治4年)には改暦および官暦の発行に伴い、全国の暦師をまとめた頒暦商社が組織された。官暦ではそれまで記載されていた吉凶の記載が除かれ、明治末には旧暦の記載も無くなったため、それらを記載した非合法のお化け暦(おばけごよみ)が出回った。

1883年には本暦(官暦)の発行は神宮司庁の管轄となり神宮暦(じんぐうれき)と呼ばれた。

1903年に日めくりカレンダーの製造が始まる。

1946年には暦の専売制が廃され、発行が自由化された。

各月の別名

二十四節気、雑節

中元を除いて、日付は年により前後する。

節句

暦の節目は節句となっている。

六曜(六輝)

詳細は「六曜」を参照


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